澤井敬一訳、泉貨雑餐の続きです。
前回の栗林銭座の記述のあとは、ほとんど
盛岡銅山の話になります
今回はその①で
藩から、尾去沢銅山の経営を任された鍵屋茂兵衛は盛岡銅山銭を廃止し、鍵屋の店切手を使用したことになっていますが、本書には
鍵屋は盛岡銅山を知らないと言っている
という記述があります
この部分はのちに著された 岩手に於ける鋳銭にはなかったような気がするのですが、、、、が
じつは、仙岳氏がこのことを訪ねた 鍵屋茂兵衛は銅山の経営を引き受けた人物の後継者で
本人ではありません。当の鍵屋茂兵衛は明治7年に亡くなっています。
しかし2代目鍵屋は多忙の先代にかわり、尾去沢鉱山経営の実務を行っていた可能性がたかく、
その人物が、盛岡銅山を知らない、というのはどうなんでしょうか。
岩手に於ける鋳銭にのせなかったのも、なにか意図があるような気がします。

次回は盛岡銅山3期銭がなかった話の予定です