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菊池米治は橋野銭座の鋳銭係責任者で、大正当時、盛岡に在住していた。この話は以前の本ブログにのってます。仙岳氏は大正初年に彼を訪ね、当時の状況を聞いている。本記述は岩手における鋳銭が出版される前の大正2年当時にかかれてものであろう。
銭座の状況が詳細にかかれており、非常に貴重な資料とおもわれる。
とくに見てほしいのは、山内通用銭の部分で、その目的が、鋳銭した銭を盗んで使用しないため、という、非常にわかりやすい理由となっている。また極印銭については栗林銭座のものを使用した、という。打刻された母銭は古くなってすり減ったものや、母銭の仕上げをしなかったできそこないのものを使用したらしい。母銭は摩耗が激しく、常時作り続けていたと書かれている。
http://mendou570.livedoor.blog/archives/1139573.html