2020年02月

昨日、久しぶりに,南部貨幣史を読んだが、大迫銭座のところに、背山米字極印の拓本があった。
仙岳、白雲居各氏の拓本帖にはこのようなものはない。さすがに最近ではオークションでも出なくなった。

さっき気がついたが、金価格はここ1週間でグラム400円上昇し、6400円近くになっている。
以前額割れしていた昭和在位60周年金貨も金価格で128000円近くになっている。ヤフオクでも応札者が増え始めた。原因は株安、円安、新型肺炎なのだろうが、どこまであがるのだろうか。

何を言いたかったかというと
1.背山は大正6年以前から存在しており、そのため仰寶が山形鋳と言われていた時期があった。
2仙岳氏の著作には背山に関する記述はない
3.字体から南部鋳を言い出したのは水原氏である
4.拓本をご覧いただいたように、大正当時は波の上に鋳だまりがあるのであって、今のような背山手の仰寶であるという考えはなかった
5.白雲居の拓本帖には背山はなかった。仙岳氏の南部藩銭譜も鉄通用銭だけである。
故引間古銭店主は(背山は山の神祭りの捧げものの絵銭的存在だ、山の文字が銭面より飛び出ているものもおおく、これは砂型1個1個に山の文字を押していったものと思う。背山はたしかに鉄銭のなかから出てくることがある。)といっていた。彼は背山の母銭には否定的だった。
私はこの意見がおもしろいと思う。
水原氏は山内通用銭ではないかと考えていた。
山の神まつりは年2回、盛大に行われたらしい。栗木鉄山の山の神祭りの写真が残っているが(ネットで引いてください)、実に盛大である。このときの捧げものとしてつくられ、みんなに撒いたか、祭りの終了時に使用するようにしのかもしれない。銭座はたくさんあったから、母銭をつくった可能性もある。
私の勝手な妄想です。。。。。。

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南部藩銭譜の制作者は仙岳氏であるから、当然氏の所蔵品である。
この品には波の鋳だまりがない(背山手の仰寶ではないということ)。岩手古泉会雑誌とは異なる品である。

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大正7年12月号の岩手古泉会誌に掲載した背山で、所有者は仙岳氏、ここで、本銭の鋳銭場所について提起を行った。
1.岩鉄で鋳造されていること
2.南部無背当四銭(仰宝)に字体が似ている
3.栗林大字(仰宝大字)を本銭の無背銭といわれることがある。
  あまりにも背字のみに重きを置き(山のため、山形鋳とすること)、似た鋳造の背盛、栗林縮字(広穿)南部鋳としている。
4。本銭は当地方に少なからず存在している。
5.山形に銭座があったことを聴いたことがない
6.古くは、銭座を藩では山と呼んでいた。銭座職工間の通用銭を
  山内通用銭と称していた。
(  )内は私の補足です。
本解説は水原氏によると思われ、当時としてはまことに鋭いといわざるをえません。当時仰宝は背山が山形鋳といわれたため、山形鋳ではないかといわれておりました。
ところで、この拓本では背山手のようにもみえます。

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