2020年01月

koma

大正8年版の岩手に於ける鋳銭、岩手古泉会誌掲載版にのった
大迫駒引の記事です、著者はもちろん仙岳氏です。
この時点ではこの絵銭は盛岡藩直営時、銭座の取締役が私的に鋳造し、知り合いに配ったもの、とされています。銭座開座記念祝賀会の引き出物ではありません。大迫は鉄銭座ですので、真鍮銭は、母銭用の銅を横流ししたのでしょうか。
岩手に於ける鋳銭は岩手公論に次ぐ,第2報です。

226仰宝27.4mm - コピー
226 - コピー
租造ですが浄法寺ではありません。
これは宮古から出たものです。
私はこのような租造のものがすきです
ちゃんと使用されています。

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最後のページでこの探訪記の企画監修、古銭拓本のでどこが新渡戸仙岳氏であることがわかる。
なお、本拓本も仙岳氏のものだろうが、銭座開設祝宴でなく、銭座隆盛祝宴の引き出物となっている。また、郭内の線がななめになっている。

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絵銭が玩具と表記されています

158マ頭通29.5mm
158
マ頭通大様29.5mmです。表に砂がついているのが気に入ってます。
鋳銭時のものでしょう。ところで、マ頭通には極印銭が存在するのでしょうか。古い寛永銭譜にはのってました。同時に背山米字極印や、多数打ちものってました。引間氏は全部ダメと言ってました。仙岳氏、水原氏、白雲居氏の拓本帳にマ頭通極印銭はありません。これはどういうことでしょうか。もし米字極印が橋野銭座の後期山内通用銭であれば、橋野ではマ頭通をつくらなかった、ということになります。存在数の極少ない仰宝大字に米字極印が存在することからすると、不思議です。

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