2017年12月

イメージ 1

イメージ 2
本資料は奥羽史談という岩手県の歴史を論ずる雑誌で昭和42年のものである。
表紙は盛岡銅山で水原氏が解説を書いている。本資料の重要な部分は当時の常識からしても鹿角の産銅を2つの山脈を越えて運び、また返送するというのはありえない、という記述と実際の現地調査でも鋳造についての伝聞が得られなかった。このため盛岡銅山銭は栗林鋳造ではない、と述べていることである。また、3期銭についてはこの雑誌の発行2年後の昭和44年発売の南部貨幣史で後作であると断定している。
後程紹介しようと思っているが、氏はこれ以前に奥羽史談の前身である南部史談会雑誌に栗林銭座の研究という論文を発表し、氏が実際栗林銭座の調査を行った結果を示している。

イメージ 1

イメージ 2
今回はこの2種の鑑別についてです。
このように2つ並べると間違えることはありません。
しかし単品で、しかも磨輪された仰寶単独の場合、区別に困ることがあります
見るべき点の一番は寛字の末画の部分が郭のはじまで来ているのが大字です。
このほか通字のマの部分が伏しているのが大字です。また、永字の第2画が大字ではわずかに伏しています。

イメージ 1
前回書いた特徴をご覧ください。拡大すると、よくわかります。
縁の太さの左右差は明らかです、拓本と全く同じです
さらに、保字、通字の周囲に加刃修正のあとがきれいにのこっています。
よく見られる、鋳放し銭でもこのあとがみられますので、買うときには参考にしてください。

イメージ 1

イメージ 2
郭内に鋳ばりが出ておりますので、鋳放し銭と思われます。2品掲載されておりました。白雲居氏、水原氏の拓本帳には本銭はありません。本銭の特徴は、反玉のほかに背の左側の縁が広くなっている、面の部分の厚みが文字から縁のほうへゆっくりと細くなってゆく、拓本はわかりませんが、表の右上の縁のカーブがわずかに折れ曲がる、縁の内側、通字、保字の周辺に加刀修正のあとがきれいにのこる、などの特徴があります。また、仕立て銭は目の見えない砥石でみがかれており、面にはやすり瘢はありません。昔、引間古銭店の主人から、この銭のいちばんの特徴は面の部分の厚みが文字から縁のほうへゆっくりと細くなってゆくことだよ、と教えていただいたことをいまでも覚えております。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
盛岡銅山銭が正式名称なそうです。
仙岳氏は多数の盛岡銅山銭をもっていたはずですが、わずか3品の登場です。
この3品にどういう意味があるのかは不明です。資料としてのこしためのものですから、氏が本物(一期銭)とかんがえていたものかもしれません。拓本のため二期銭、三期銭の区別もできません
なお、1品目の上部、盛の上の部分のゆがみは拓本を張り付けたときの拓のゆがみであり、正確にはまともな形をしております。

↑このページのトップヘ