本資料は奥羽史談という岩手県の歴史を論ずる雑誌で昭和42年のものである。
表紙は盛岡銅山で水原氏が解説を書いている。本資料の重要な部分は当時の常識からしても鹿角の産銅を2つの山脈を越えて運び、また返送するというのはありえない、という記述と実際の現地調査でも鋳造についての伝聞が得られなかった。このため盛岡銅山銭は栗林鋳造ではない、と述べていることである。また、3期銭についてはこの雑誌の発行2年後の昭和44年発売の南部貨幣史で後作であると断定している。
後程紹介しようと思っているが、氏はこれ以前に奥羽史談の前身である南部史談会雑誌に栗林銭座の研究という論文を発表し、氏が実際栗林銭座の調査を行った結果を示している。