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先日県立図書館でみつけました。雑誌ボナンザの1973年3月号一部です。この時期は、南部貨幣史が1969年(実際の発行は1970年にずれこんだ)に発行され、盛岡銅山の2期3期銭が偽物であるという事実がはじめて文章化された4年後のことです。この記事の内容の半分以上が盛岡銅山の贋作について書かれていますので、ぜひともお読みください。特に田中啓文氏の指摘点や、沢井氏の贋作の製造方法をそのまま破草鞋に2期銭、3期銭の鋳造方法として書き込んだという記述は私とまったく同じ考えです。ただ、以前かいたように、3期銭の鋳造者M氏の勤務先は県立工業試験場ではなく、県立工業指導所であり、その鋳造時期は昭和5年ころ、と本人による記述物があります。とするとこれ以前にすでに3期銭は存在していましたので、さらに別の人物が作成したものが存在するということになります。