最終は95000円だったが、出品者の希望最低価格に達しなかったらしく、落札者はいなかった。おそらく、収集の落札価格が最低値段だったと推定。このようなものは画像を保存しましょう。Windows+PrtScまたはfirefoxであれば Ctl+shift+Sで保存できます。

ヤフオクに出品されている、おそらく先日のものだろうから、まだそんなに終了から、日がたっていない。最低値は5万で落札価格半分です。なにか気に入らないことがあったのだろうか。
鑑定書がついているが、だれが鑑定したのだろうか。
追加
重さが28g 普通の天保銭よりはるかに重い。

昭和15年ころ、銅山銭の危うさが中央で語られるようになり、ついに田中啓文氏の投稿となり、2,3期銭はほぼ贋作であるとの認識となった。銅山銭の存在を知らず、おそらく大金を払って銅山銭を買い取ったと思われる小笠原白雲居は、怒りの投稿を行った
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文面を読めば、白雲居の怒りが伝わってくる。この時点では,小字母銭も贋作と判明している。
舞台となった、岩手古泉会の解散、水原氏の古銭界からの引退も、これらの事実と無関係ではないだろう。本物として中央に紹介、分譲した品がほとんど贋作であったわけで、やむおえないと思われる。この時代には、盛岡でも仙岳がいろんな人に贋作を作らせていることがうすうす知られていたはずである。

水原氏が古銭界に復活して、南部貨幣史に銅山銭の顛末を書くのは、この25年あとのことである。

復刻 貨幣 天保堂 第8巻から抜粋したものです

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